交通事故1963

 小学校3年の時 15kmくらの距離の町に引っ越しした

借家から持ち家となった 家の前の道路が 舗装道路から あぜ道になった

夜 真っ暗で あぜ道沿いの水路の橋上で 無数の蛍に取り囲まる様な所だった

小3の夏休み 海水浴に行った 伯父さんと子供4人 それぞれ自転車で

帰り道 その地域の唯一の幹線道路を横断する時 伯父さんが先に渡り切り

私は 一旦停止して左右の安全確認をして 後に続かなければ いけない所を 

そうしなかった

目の前のお店の看板を見ていたが その景色は 急に暗く閉じられた

私の後方で自転車で見ていた 弟によると 電柱の間隔一つ分 跳ね飛ばされたそうだ

再び目を開けると 乗用車の後部座席で女性が真っ白の洋服を 私の血で真っ赤に染めて 私を抱えていた

 

「その節は 大変 御迷惑と御心配をお掛け致しまして誠に申し訳 御座いませんでした 深く お詫び申し上げます」

 

飛び出し事故で 大ケガをして血だらけの子供(私)を その時代 救急車を待たず

乗用車で病院へ運んで頂いた

病院に着くと 男性が私を抱きかかえて病院に入った ストレッチャーでではない

手術が終わり 意識は有った 父親の顔が真上に見えた「飛び出したらダメだろう」

母親の顔が見えた時は ほっとした 

全治2か月くらいの重傷 1か月くらいの入院 頭を真上を見ている位置から

少しでも左右を見ようとすると めまいがした まったく動かせなかった

頭1ヶ所 左胸 左腕 右足を怪我 よく生き返ったものだと思う

松葉杖でリハビリ  外を歩ける様になると 退院出来た

その後 通院も 私が飛び出して御迷惑をおかけした方が 乗用車やタクシーで

送迎して頂いた

 

「あの時の子供は 後遺症もなく68才の現在も有難いことに 仕事をさせて頂いております」

 

2~3年間くらい 冬になると古傷が傷んだ 生きている証拠だ

私の子供には 一旦停止 左右確認を何度も繰り返し言ってきかせた

孫にも 歩いているとき 自転車の時 何度も一旦停止 安全確認を 

繰り返し言っている

自分が車両を走らせている時 自分の前に人が飛び出すかもしれない

と心がけては いるつもりだが

幸運にも51年間 大きな事故は 無い