試験1978

 23才の頃 その当時 環七が海岸通り?に突き当たった近辺の 事務所に配属

港湾土木主体で数少ない建築屋の私が転勤して来た

歓迎会として事務所隣の休憩ハウスで飲み会

手拍子で歌う事になった 

〇様〇ングスの なみだの〇を 歌った バカ受け 大盛り上がりとなった

一発で 部外者の様な建築屋を 気に入って頂いた

二次会でとんちゃん(ホルモン屋)でさらに盛り上がる

ムードメーカーの主任クラスの方の 名前がなみだの〇 〇部分の名前だった

こうして 私は好スタートを切った

 仕事 飲み会 麻雀 どこでも土木屋さんと打ち解けたが ここは特別だった

1年経つ頃 一〇建築士試験が近くなってきた

宿舎で同室の土木屋さん 下水工事で夜勤 1ケ月くらい夜勤つづきとの事

私が誘い 飲みに出た時 私の試験の話をした 「全ての付き合いをやめて 全身全霊で試験に向かう様に」と貴重なアドバイスを頂いた

翌日 仲良くして頂いている土木スタッフの方々に「試験勉強の為 飲み会

麻雀等 全て辞退させて頂きます」 と皆さんに宣言した

こうしなければ ずるずると付き合いを続け 試験結果は駄目だったろう