帰国1977

 約束の1年+追加依頼の1か月=13ケ月の過酷な現場を終え

俺は帰国の途についた 帰りは 来た時の反対方向 クウェートに入った

途中 検問も何も 記憶に無い イラク軍が一直線に来れる

借り上げた宿舎だろう 一泊素泊まりした

俺は「たまげた」 大理石の床 本物の大理石

最近スーパー コンビニの床に貼ってある 鏡面のセラミックタイル

ではない

壁 天井 家具 調度品 まるでアラビアンナイトの世界だ

「アリババ」と言う名前が出るが 現地語で 盗む事そしてその人の事

クウェートのピカピカの 本物の大理石の床をみて

これをみたら あいつら アリババに来るな と思った

実際 その13年後 ○ウェートに侵攻して来た ○岸戦争だ

 

イラクから帰国 出発は羽田 帰還は出来たばかりの成田

都内までタクシー 俺は思わず「運転手さん 1年ぶりの日本だよ」

と声を出してしまった 

タクシードライバーは「アメリカですか?」

 

本社で先輩と ソファーに座り会話

イラク先遣隊で 俺より先に 2~3か月 準備 仮設ハウス等の工事だろう

俺の出発時 イラクでの心構えを伝授して頂いた方だ

「何も無い所だから」と そう言われても 俺は会話にならなかった

現地人が 親指 人差し指 中指3本そろえて 上にする合図を指で仕草をして 

「これは なんの意味だった」と13ケ月赴任の俺に逆質問

「チョット待ってくれ」と言う意味です と俺は即答

 

その後 帰還の挨拶廻りに 各所 廻った 

だが どちら様も あの過酷な状況での戦友では なくなっていた

髭を生やしていた人も 剃っていた 

現地では 男は髭を生やすのが常識 

よく現地人に ミスター(現地人発音 ミスタール)は何故 

髭を生やさないのかと聞かれた

髭の隊長は 現地人との約束とか 講演会に行って 本にサインをもらった